遊歩道途中の休憩所の展望 | 町道?に祀られた聖観音菩薩像 |
東の山、稜線に差し込む日を浴びた紅葉 | 尾根の東はまだ雑木林で、紅葉が良い雰囲気だ |
笹藪の広場、南の見張櫓でもあったのか? | 天分年中築(1532-54)城の歴史の重みを感じる |
尾根岩の風情が良かったので写した風景 | 右端に小さな祠、左上に壊れた祠がある |
東北東の尾根、倒木の先は明瞭尾根である | この山大岩が多い、首だけのモアイ像? |
山頂から北の展望、正面は花咲山、直ぐ右奥は東山? 、真ん中がへっこんだように見えるのが行者山? |
宮山山頂(ほぼ南から見る) | 山頂から西の尾根、平らな広い場所が見える |
登山口から直ぐの遊歩道の様子 | 休憩所の手前から、雲海に浮かぶ黒尾山か? |
★日時 ★登山口 ★メンバー ★参考地図 |
2008.12.02(金)晴れ 宍粟市一宮行名(公園P) 単独 国土地理院【安積(姫路)】 |
歩行距離 | 所要時間 | |
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約2.7km | 約1時間50分 | |
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消費カロリー:約590kcal
所要時間 登山口P8:25 →獣除柵8:32 →休憩所8:48 →山頂9:12 →(山頂散策) → 山頂9:33 →脇道へ9:40 →祠9:45 →遊歩道へ9:52 →休憩所9:57 →獣除柵10:10 →登山口P10:14 ・・・・・・・・・・・・・・・・(車移動)・・・・・・・・花咲山 ・・・・・・・(車移動)・・・・・・・城山へ |
昨日病院に行って今日は山歩き!体調は完全でないが散歩道程度の山なら良いだろうと宍粟の散歩山に行くことにした。各バイパス、国道29号線相変わらず混んでいる。山崎の裏道を抜ける時、西の山に日が差し込み薄い霧が幻想的である。今日はあまり歩く距離のない山ないので欲張って3座(山)歩く?事にした。6時前に家を出て宮山の登山口に着いたのは8時半少し前である。神戸の高取山のような山、だが一応完全装備で8:25出発した。
登山口からは遊歩道 (宮山は公園の一部と思った方が良い) を歩いていくと200mの表示の所に獣除柵が設けてあり、扉を開けて中に入る、植林帯で展望はない。休憩所の手前辺りから後ろを見ると雲海が、山頂へと少し出ていた。気がはやる。直ぐに着いたが休憩所には長椅子が2脚設けてあった、が霧で展望は良くなかった。ここからは道は広いがゴロ石が多いので要注意である。
途中尾根側に脇道があったが先ずは山頂までと歩いていくと約45分で山頂に着いた。寒いと思ってジャケットを着込んで歩いたため散歩道程度なのに汗びっしょりである。早速山頂の散策をする。ほぼ西側の大きな岩の間に踏跡があり、右手に展望が開けている、少し下ると、平らな広い場所が見える、城山なので西側の見張り櫓でもあった場所だろうか?。
朝日を浴びて色づいた花咲山、頂上に通信塔がある、霧が僅かに残っているが、もう少し早く来れば良い雲海が見られたかも知れないと思いながら山頂に戻り、次は東北東の尾根を散策する。時間も早かったのでP510辺りまで歩きたかったが、後のことを考えて下の写真の所で引き返した。この先もしっかりした尾根道?は有るようだ。20分ぐらい散策して9:33下山する。途中人の顔に似た巨岩があったので記念に写した
朝見た岩尾根を下ってみることにした。岩だらけである。少し下ると大岩の横に壊れた祠があり、岩を回り込むと大岩のしたに小さな祠が祀られていた。昔はこの尾根が道だったようだ。
祠から岩尾根を下ると一面笹が茂った広い広場に出た。ここも南の見張り櫓跡だろうか?ここからは強引に尾根下れそうだが,確認だけして遊歩道の方に向かう、途中石垣が積まれていた。歴史が感じられる石垣である。
遊歩道に出ると朝日を受けた木や山の稜線が清々しい、ゴロ石の多い遊歩道景色を見ながら注意して下る。
休憩所まで下ってきた、南の展望素晴らしいのだが、太陽に邪魔されて写されなかった。いい山と言うより良い公園の展望所と言った方が良い山である。10:14登山口に戻ってきた。公園のモミジ撮りに行くと熟年?の女性(地元の人)が一眼レフに三脚をつけて本格的に撮影していた。私は二刀流(コンデジ2台)で駆け足で撮影して、挨拶してから花咲山に向うため、市道?に出ると「聖観音菩薩像」が建てられていた。手を合わせてから花咲き山に向かった。−−−神社・仏閣・石仏!信仰心は薄いが見ると何故か手を合わせる
宮山だけなら山歩きした気はしない!、東北東の尾根道明瞭な踏み跡があるのでP510からP735.6方面の尾根を歩いて岡城川添いの林道に下れば良い山歩きが出来るのかも知れない。尾根道は少し様子を見ただけだから途中からヤブになっているかも知れないが尾根道なら歩けると思われる。
岡城については山頂に説明が書かれた立て札が立てられていた。
岡城は岡山城・深山城とも呼ばれ、播磨国一宮岩神社を眼下に望む宮山の山頂に築かれています。
「播磨鑑」などの子機録によれば、七条赤松家の末流である赤松治部少輔教弘が、明徳3年(1392)
ここに始めて城を築いたとされています。3度目の築城も長水城と共に秀吉によって天正(1580)落城
した云々が書かれている。 山城の平面図等は記載されていなかった。
宮山(岡城) |
(みやま) |
514.4m |
登山口への途中の公園の紅葉 | 公園内の最上部にある宮山登山口 |