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飫肥街道山仮屋関所跡
おびかいどう やまかりやせきしょあと)
−−−m

                                                     
山仮屋関所跡にあった飫肥街道案内:飫肥街道の詳細ルートは分かり難い
累積標高差±240m 渓谷・林道歩き
                     
参考地図    参考標高   入口Mapion 
日時   :2020/7/21(火) 晴れ メンバー :単独 入口 :−−−−− 
歩行距離:約4.2km  所要時間:約1時間40分 登り:約時間分 下り:約時間分

所要時間 :
  駐車地点13:48 →(飫肥街道) →林道 →(林道)15:00→駐車地点15:38


先月6/24に見つけられなかった山仮屋関所跡を探しに行った。参考地図、県道27の(あ)点から破線が飫肥街道かもしれないと出かけた。(あ)点辺りは治水工事中だったので、前回林道に出てしまった参考地図(い)点から分岐に行って見れば何か分かる!と県道27から林道(市道)に行く近に車を止め林道に入った。直ぐ(案内に55mと書いていた)飫肥街道の案内が道路左側にあった。北側に行く飫肥街道!があったのだ!!と喜んだが案内を見て途中で林道を横切って南に続いている事が分かった。
     
林道(市道)から県道27を見る 飫肥街道の出入口


飫肥街道にはいると、道はカーブして林道(市道)に沿って歩く、歩きやすい街道を約300m歩くと林道に出た。林道を横切りようにして街道があった。
     
街道の様子 林道(市道)を横切る街道


林道を横切って少し歩いた街道、イヤな雑草に覆われていた!が10mと歩かない内に歩き易い街道になった。
     
街道の様子 街道の様子


炭焼き窯の少し手前で1mほどの石柱を見つけた。読みにくいが「釋尼妙誓不退位」のような文字が書かれていた。浄土真宗の女性の戒名?だそうである。そうだったら、これお墓石か??−−−(「釋」は推測文字−−−−−この字は女性の戒名の頭につける文字らしい)
     
釋尼妙誓不退位と彫られた石碑(墓石??) 炭焼き窯手前(北)の歩きにくい街道


歩き難い街道を過ぎると炭焼き窯があるが、参勤交代の当時からあったのかは不明だ!炭焼き窯から直ぐの所の植林帯から国土地理院の破線でR27の(あ)点方向に踏み跡があった。(「あ」点は行きも帰りも治水工事現場辺りで工事中だったので調べられなかった)
     
炭焼き窯 R27の「あ」点方向への踏跡


途中の案内を見て、もう着くだろう!と思うがなかなか関所跡に着かない!宮崎市で36℃越えの猛暑日、〜440mの山、風がないので室状態でばてていたから長く感じたのかも?。ゆっくり歩いていたら大きな木があった。近寄ると大きな空洞が出来た古木で、関所跡にあった案内からイチイガシの木と分かった。、
                    
イチイガシの古木 木に大きな空洞がある


雰囲気的に関所と分かったが雑草が茂っていた。街道にある案内から石仏があるようだが見つけきれなかった。
     
やっと着いた関所跡 草で覆われた関所跡


広い所の街道脇に大きな岩があり、その前に一里と書かれた石柱があった。内之田地区に、飫肥城から一里の所に「一里塚標」が残っていることから一里毎に設けられた標柱のようだ。、国土地理院地図で調べると花立山△点から関所までほぼ一里(4km)だった。
カシミールで推測ルートで距離を見ると、関所跡は飫肥城からおよそ5里(20km)だった。
一応ネットで飫肥街道を調べると飫肥城から清武まで8里(32km)、関所はその中間辺りらしい。(飫肥城から4里になる)
     
これも一里塚?? やっと見られた関所跡
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石垣の上に行くのに南端から歩くと崩れた石段があり、石段を登ッた所の南に石で囲まれた四角い枠があったが、これが何かは分からなかった。
     
南端から見る石垣 石段を登った所の四角い枠


石垣の上から西の方を見ると鰐塚山の通信塔群が見えた。当時は杉の植林もなかっただろうから、西の視界は広かったのかも??。一休みして山神社に向かった。
     
写真では見えないが正面奥に鰐塚山が見えた。 山神社(中央の木の間にしめ縄がある)
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山神社は Googl map からはもう少し暗いイメージがあったがいい天気だったので明るく感じた。
     
山神社の正面 山神社
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山神社から数分で林道に行く分岐に着いた。関所跡を見る目的は終えたが、6/24日に林道に出てしまった「あ」点まで行くことにした。分岐から7分で先月林道に出る分岐に着いた。街道を引き返せばまた何か見えるものがあると思ったが林道(市道)を歩いて戻ることにした。
     
3ヶ所目の林道への出口 前回ここを正面から左に歩いいて林道に出た分岐


林道は南で伐採した木材を運ぶ車の轍が深い!それでも街道を歩くより楽だった。R27に戻り東の林道様子を見て西の林道の様子を少し見て駐車地点に戻った。駐車した場所に石碑があった。何か字が書いてあるので、まとわりついていたツタを取って見たが字は読めなかった。牛の峠の論所跡石碑やその北にある論所跡子午線の碑のように、この石柱も歴史があるのかも??
     
西に向かう林道 字が読めなかった石碑



詳細な飫肥街道を調べ等としたが、ネットで載っているのは県道27号のようだ。どうでもいいのだが県道27号は花立山を避けて後で出来たのかも??と勝手に解釈した。
飫肥藩が参勤交代の時は飫肥街道から日向街道を経て細島から船路だったようだ。が舟の行き先はどこだった?今のところ分からないかった。推測では堺が一番理にかなっているかも??
もう一つ気になったのが薩摩街道だ。九州の西端と都城を抜けて東ルートがある。飫肥藩は領土が侵されないように牛の峠論所跡やその北に牛の峠子午線柱を造ったのだから東ルートはあまり使わなかった??。史跡後から歴史のいろいろなことが想像できる!ちょっとおもしろい散策である。豊臣秀吉が島津を攻める時、主舞台は西から攻め込んだらしいが、頭のいい秀吉!東ルートからも別部隊を送り込んでいたようだ。。
山歩きや林道歩きで時々歴史が見られる時があるのはいい。





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