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高尾山(点名不動山) (神戸) 
(たかおさん(てんめいふどうやま))
303.0m



参考地図   参考標高  起点(Mapion)
日時   :2013/6/12(日)晴れ メンバー :単独
歩行距離:約720m 所要時間:約45分

所要時間 :上記の所要時間は休憩含まず、写真写す時間は含む
駐車場P →高尾地蔵院 →神社等散策 →高尾山(点名不動山) →通信塔脇 →駐車場P



昔墓参りした時、一度登ったことのある山?である。ここも山?と言いにくい所だが昔は立派な山だったのだろう!義経軍はここで休憩して平清盛の本陣を見て作戦を練ったとも言われている。嘘か誠かは分からないが義経馬繋ぎの松の切り株が祭られてあった。平家軍との戦いは案内を読んでください、鵯越の逆落としとして有名らしい!三草山の戦いからの両軍の経路図は ここ をクリックしてください。
             
高尾山への入口の案内(通史設備点検道路) 正面は観音菩薩??右駐車場


                        
地蔵院に行くまでにいろいろな石仏が祭られている、高取山とも関連があるのかここにも社の鳥居に白川大神の文字が載っていた。
     
義経が休憩したぐらいで井戸は掘らないだろう?(囲い) 高尾山神、白川大神等が祭られていた


いろいろな石仏や社がある地蔵院である。義経が休憩した場所や義経の馬を繋いだ松の木と言っても何も感じない!歴史的事実であっても真実ははっきりしないからかも知れない。
        
社の前の松の切り株、義経馬繋ぎの木だそうである いろいろな社が並んでいた
      


      
さらに奥に進むと地蔵さん?が並びその奥には錦昌稲荷大明神が祭られていた。源平の戦、ここではあまり感じはしない所である。
      
地蔵さん?もきれいに並んでいた 錦昌稲荷大明神



高尾地蔵院から駐車地に戻り、メンテ等脇の階段をを上ると字が読めない社がある、何を祭っているのかはわからないがお参りして裏の笹が薄い藪から三角点へ向かったが先は密集した笹で引き返した。
     
字が読み取れない鳥居 名も分からぬ社



歩かれそうな笹ヤブだが先は密集してきて歩く気が起きない、駐車地まで引き返して、通信設備のメンテ道を歩いて三角点に行くここの三角点は広く展望も良い!鵯越墓地園がない頃は山頂まで苦労して歩いたのだろうが義経が休憩した山だから馬が歩かれるぐらいの道はあったのだろうか・・・・
     
名も分からぬ神社脇からヤブに 高尾山(点名夢野墓地上)



ここからの眺めはいい、義経もここから福原辺りの清盛軍勢を見渡して奇襲作戦をとった所らしい、一説によると握手する手をさしのべて反対の手で斬りつけたと言う説もある。勝てば全てが美化されるのだ)
            
山頂から手前にひよどり越森林公園、奥に高取山を望む
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山頂からの展望は左端:菊水山、その右黒い部分:イヤガダニ東尾根、中央奥:高取山、松の右奥:淡路島、明石大橋も見える神戸を見るためには標高が低い!義経はここから清盛の本陣福原を見て作戦を考えたのだろうか?

高尾山(点名不動山)からの展望
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神戸市街地を見るには少し高さの割には奥にありすぎる、夜景を取る所でもなさそうである。写真を写して通信塔横の空き地の東端から丹生山系の山々が見える。
     
プラネタリウムのような通信塔である 通信塔広場東は時より丹生山系を見る
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義経が高尾山で作戦を練った事は分かるが三草山から高尾山でどの様にしてきたのか、一部で書かれている鵯越の逆落としは義経となっているが、多くは一ノ谷にて戦ったとされている。
歴史など、どれが正しいか等関係がなく、勝てば官軍であるようだ!平家の落人の集落は至る所に散在している、氷ノ山への横尾渓谷にも平家の落人の足跡が残されていたが、敗軍の惨めさだけが伝わってくることが多い。。